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【超貴重】1987年、パチマガ創刊号に掲載された田山幸憲プロのインタビュー③【掲載】

▼▽▼コチラの続き。▼▽▼

「"女房や子供にはいえない"。その気持ちは痛いほどよくわかる」

パチプロの"定年"は40代後半。常に経済的な不安に追いかけられている彼らも、歳とともに弱気になり、その不安に押しつぶされてしまう。いくら若い頃は"これでやっていける"と甘い考えに浸っていても、歳とともに“引退”を考えるようだ。過去にあっては、手打ち式から電動式に変わったときに、まるでふるい落としにかけられたようにパチプロが見事に減った。それはただ単に時代の変化についていけなくなっただけではなくいつも心の中で"こんなことではいけない"というジレンマを抱えていた彼らに、かっこうの"きっかけ"となったためと思われる。

「あのときやめていった連中がいまの台で食えないのかといえば、そんなことはない。慣れればやっていけたはずだけど、この辺が引き際と思ったんだろうね。そのほうが賢明だよ」

田山氏は母親と2人暮らし。だが家つきなので平均月20万円の稼ぎがあれば十分だという。兄弟はすべて結婚しているが、彼はあくまで独身を貫く。「パチプロが結婚だなんて冗談じゃねェ」というわけだ。もちろん、結婚して子供をつくってという誘惑にかられたこともあった。しかし、そうなってしまっては、パチプロから足を洗うしかなくなるというのが彼の考えだ。

「職業を隠してまでやりたくない。そういう人もいるから批判はしないけど、僕はそうしたくないだけ。どっかの営業マンという肩書きをもってて、朝ちゃんと出勤する。そして会社を抜け出してパチンコで稼ぐというヤツもいる。あとは、会社に行くようにネクタイ締めてちゃんとパチンコ屋に出勤してくるのもいる。"なんでいつもネクタイ締めてんだ"って聞くと"女房や子供にはいえない”。その気持ちは痛いほどよくわかる。わかるから自分ではそうはやりたくないと思っちゃう。
店によく子供をつれてくるパチプロもいる。"あー奥さんに逃げられたんだな、大変だ"と思う。本人はそれで済むけど、そばで遊んでる子供を見てると不憫でね。朝から晩まで1日中パチンコ屋で遊んでる、いや遊ぶしかないなんて、悲惨でしょう」

田山幸憲 パチンコ必勝ガイド

「外が薄暗くなったらサラリーマンと同じで、もう仕事をやめようと思う」

変型パチプロは、いわゆる企業の外回り、営業だ。外の社会では"会社員"であり、実質的な収入をパチンコでまかなうというタイプ。対外的にバツの悪い"パチプロ"を何とか正当化しようという苦肉の策なのだろうか。

「"パチプロ"を正当化しちゃいけない。サラリーマンはよくパチプロに憧れるみたいだけど、サラリーマンのほうがよっぽどいい。自分を殺すのが不満かもしれないけど、大局的に見れば、それが社会性につながっているし、生産性にも結びつく。パチンコなんて何もないよ。あるのは自分だけだ。僕はパチンコしかできないと思っているけど、その反面、パチンコは僕にとってのウィークポイント。惰性と弱さの証明なんだよ、それを勘違いしてパチプロって聞くとロマンを感じるなんてことをいうのがいるけど、とんでもない。ただだらしないだけさ」

現代人はだらし良く生きている。いや生かされているといったほうがいいだろうか。会社で束縛され、家庭という重い荷物を背負っている以上、だらしなく生きたくても生きられない。そういった日常からパチプロの生活を垣間見るとロマンを感じてしまうのも仕方がないことかもしれない。それにパチプロの生活は24時間すべてが自分のものというのも大きい。
いや、これは結婚も子供もいない田山氏の場合に限ってのことだが。しかし、その辺を聞いてみると、意外にもこんな答えが返ってきた。

「外が薄暗くなったらサラリーマンと同じでもう仕事!?をやめようと思う。夜はまずやらない。その後は、たいていは飲みにいってしまう。行きつけの飲み屋で顔見知りがいれば冗談をいって疲れを取る。結構1日ツメていると神経使うから。その後は、たいていは帰って寝るだけ。規則正しい生活をしているのは病気が怖いから。パチプロなんて何の保証もないんだから体が資本だよ」

"だらしなさ"と"規則正しい生活この矛盾の中に田山氏はいる。いや、彼もまたフツーの人間のようにやむを得すそうせざるを得ないのかもしれない。フツーと違っているのは好きなことのため自ら進んでそうしているだけのこと。他人に強制されて何かをやることを徹底的に嫌う田山氏の生き様こそ、パチプロの本来あるべき姿なのではないだろうか。

「1日に2万円前後稼げればもう満足。出ても出なくても夕方にはパチンコはやめる。あとは酒。この気楽さにいまは満足しているんだ」

 

完。

1987年当時の田山プロ。写真は池袋S店こと「山楽会館」の店内と思われます。山楽会館閉店後は、大手チェーンのガイアとなりましたが、それも閉店。現在はカラオケ店になっています。。。
1987年当時の田山プロ。41歳頃の写真です。パチンコ必勝ガイド連載開始前の写真ですので、恐らくインターネット上に現存する田山プロの写真としては最もお若いものの一枚になるかと思います。

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